褻の日記

耽美っぽい文章を書きます

元JKカフェ店員が語るJKビジネス

高校時代、私は秋葉原でJKカフェの店員として働いていた。

 

某大人数アイドルグループのチェック柄の衣装を身に付け、ニーハイを履いて秋葉原の路上で道行く人に声をかけていたのである。秋葉原の駅からケンタッキーに向かう道のところに何人もの女の子が立って、通りすがる男の人に声をかけている様子を見たことはないだろうか。その女の子たちは、過去の私と同じ立場なのである。

 

JKビジネスにはいろいろな種類があるが、私はその中でもJKカフェの店員としてその当事者であった。

 

JKカフェとは、女子高生とおしゃべりをするサービスを提供するカフェである。

店内に入ると、狭苦しい中にいくつものテーブルが並べられ、そのテーブルをはさんで対面式で女の子と男性が話すことができる。隣に座ることは許されていない。なんでも、隣に座ると風営法にひっかかるんだそうだ。隣に座らなければ未成年の女の子とお話するサービスを提供しても合法である、というグレーゾーンをついた商売だ。

 

では、なぜ私はJKカフェなどを始めることとなったのか。高校時代、私はとにかくお金を欲していた。お小遣いが足りなかったわけではない。確かに、人より多いとは言い難い額であったが、実家暮らしの当時の筆者には十分な量だっただろう。

しかし、高校生の私はバンドの追っかけに精を出しており、お小遣いでは賄いきれなかったのである。同じバンドの追っかけをしていて仲がいいお姉さんはキャバクラをしていたし、同い年の仲間はJKリフレ(JKビジネスの一種。JKが男性にマッサージを提供する。いまは取り締まりでほとんど存在しないはずである)で働いていた。そういった周囲の友人が使う金額はかなり高額であり、それを見ているうちに自分もお金を稼ぎたいと思うようになったのだ。

しかし、普通のバイトをしていては、毎週決まった時間に家を出ることになってしまうし、拘束時間も長い。校則でバイトを禁止されており、両親になんとしてもバイトをバレるわけにはいかなかった私には、いわゆる「普通のバイト」が不可能だった。

それに加えて、私の特別に旺盛な好奇心はとにかく刺激を求めていた。みんながしたことがなさそうなバイトをしてみたい、そんな気持ちを抱えていたことも事実である。そうして辿りついたのが秋葉原にあるJKカフェだった。短時間でお金を稼げるに違いないという短絡的な思考と向こう見ずな冒険心からJKビジネスの世界に飛び込んだのである。

 

JKカフェでの仕事には、大変な面が多くあった。一番大変だったのは、給料が完全歩合制だったことである。時給制でないので、お客さんがつかなければ何時間勤務していても給料はゼロである。指名のお客さんが事前に予約を入れておいてくれなければ、道に立って秋葉原を道行く人に声をかけ、自分でお客さんを捕まえてくるしかない。誰もお店に来てくれなければ、何時間道に立っていても給料はなしである。しかし、指名さえあれば短時間で2万円ほどを稼ぐことも可能であった。また、指名ランキングも存在し、上位にはボーナスが支給されていた。

また、他にも大変だったものとして思い出に残っているのは週に一度のミーティングである。注意事項や目標などが共有される場所で一時間ほど続くのが恒例であった。そこには奇妙な決まりがいくつもあった。例えば、勤めている期間が長い女の子や売り上げが上位の女の子は椅子に座ることができるのだが、他の女の子は床にずっと正座しなければならなかった。椅子は限られているのだから、床に座らなければならない女の子は必然的に出てくるし、椅子に座る人選に不満もないのだが、なぜ正座でなくてはならないのかが私にはどうしても理解できなかった。ミーティング後には足がしびれて立てない女の子が続出し、なぜ体操座りではいけないのか、筆者は毎回首をひねる羽目となった。

そうしたちょっとした理不尽は店のルールとして数多く存在していた。

 

だが、客層は悪くなかったように思う。もちろん傷つけられるような言葉はあったが、耐えられないほどのひどい言葉や、性的な言葉を投げかけられたこともない。秋葉原という土地柄、オタクっぽい人が多いのかと思いきや、案外ノリのいい若いお兄さんがお客さんのことが多かった。とはいえ、女の子ごとにお客さんのカラーが違ったので、確かなことはいえない。しかし、「いかにも」なひとが多いわけではないことは事実である。

 

女の子は、黒髪ぱっつん前髪の女の子もいれば、茶髪のルーズソックスの似合うようなギャルもいた。どんな子が売れている、ということはなくてギャルも清楚も可愛ければ同様に売れていた。

だが、彼女たちの働く理由は様々だったようだ。基本的に、女の子同士が話すことは禁止されているのだが、少ない時間の中での話によるとみんな込み入った事情があったようである。私のようにバンドの追っかけでお金を使っている子もいれば、ミテコ(18歳未満で夜の店に通ったり働いたりする女の子のこと。法律違反なのでしてはいけない)としてホストに貢いでいる子もいた。家庭の事情で働いているような女の子もいて、当時高校3年生だった筆者がすでに18歳であることを知ると、「いいなあ、もうキャバクラで働ける歳だ」と羨まれたこともある。とにかく色んなタイプの女の子が集まっていた。

 

そんなJKカフェであるが、実は私がお店を辞めた少し後に公権力に一網打尽にされたらしい。それで、筆者の勤務していたお店もサービス内容は実質JKカフェでありながら、JKカフェの看板を表向きには降ろしたようである。しかし、この記事を書くために久しぶりにお店のホームページを見たら再びJKカフェと銘打って運営していた。

一時期は灰燼に帰した秋葉原のJKビジネスもまた復活してきているのかもしれない。

 

働いておいてなんだが、現在の筆者はJKビジネスには反対している。年端もいかない状態で、自分の性的な価値としての「女子高生」という属性を半分違法のような状態で売ることは間違っていたと今になって思う。

正直、善悪の判断がつくようになる前に、自分の力のみで獲得したわけではない若さやルックスのみですべてを評価される場所に身を置くことは不健全だろう。

 

当時18歳だった筆者はたびたびお客さんから「ババアじゃん!」と投げかけられた。もう大学生で秋葉原では「ババア」になってしまった筆者はその様子を気を揉みながら見守るばかりである。

いなか、のじけん

 『いなかの、じけん』。これは、異色の探偵小説作家・夢野久作が1927年に雑誌『猟奇』『探偵趣味』の両誌に発表したショートショートである。滑稽なものから陰惨な事件まで土着の風習と絡められた小話が20編続くのだが、『猟奇』という雑誌に作品が掲載されていたという事実からも分かる通り、ぞっとする内容の作品が大半を占める。この作品のユニークなところは、「みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。」という作者による備考が作品に添えられているところである。つまり、実際にこのような因習に囚われた陰惨な事件が起きたのかもしれない、と読みながら読者は肝を冷やさずにいられないのである。現代社会に生きる私たちにとって、1920年代の片田舎など想像することしかできず、そのことが作品に妙なリアリティを与えている。作品を一つ一つ読み進めるうちに、読者は田舎のムッとしたくさいきれや、掘り返したばかりの土の匂い、もしくは湿った畳から立ち上る生臭さ、そんなものたちを想像の中で追体験することとなるだろう。

 このショートショートの中でも私がおすすめするのは「郵便局」という作品である。この作品の中には、知的障害を持つ美しい少女、他人の噂話にしか楽しみの見出せない人々、少女の凄惨すぎる最期と奇妙で不気味な子守歌といった恐ろしくも心惹かれずにはいられないモチーフがちりばめられている。一つのショートショートとして完成度が高い作品であるかというと決してそんなことはないのだが、倫理や道理が崩壊した先にある倒錯した美しさが短い中に凝縮されている。

 夢野久作というと『ドグラ・マグラ』、『少女地獄』など、読者をその作品の中で迷子にさせるような、そんな奇妙な作品が多い。しかし、今作はショートショートということもありシンプルで読みやすい構造なので、夢野久作という名前は聞いたことがあるが、手を出しにくい……という人にもぴったりの作品であるといえよう。ただ、今作品は紙媒体だと全集にしか収録されていないために、紙媒体で読むのはなかなか難しい。そのため、私がおすすめするのは青空文庫に収録されている今作品を読むことである。ぜひ検索して目を通してみてほしい。きっと陰鬱な世界が口を開けてあなたを待っていることだろう。

けものフレンズ構文とニュースピーク

 けものフレンズ、というアニメが流行っている。このアニメを有名にしたのは、このアニメの登場人物であるサーバルちゃんの「すごーい!」「たのしーい!」といった単純な語彙の数々である。インターネットの住人達は、「すごーい!君は○○の得意なフレンズなんだね!」とサーバルちゃんの名言に各々の単語を代入してはコミュニケーションし合う。いまやtwitterを開けばけものフレンズ構文が否応なしに目に飛び込んでくる。しかし、なぜこのようなサーバルちゃんのように極端に語彙を制限した構文がいまインターネットを席巻しているのだろうか。


 理由として第一にあげられるのは、何よりもその言葉の明快さだろう。「すごい」「たのしい」という言葉はただただポジティブな意味しか持たない。この言葉を使えば角の立つやりとりとなる可能性が排除される*1。明快であるがゆえに、本意は隠されやすく、インターネットといった表層的なつきあい*2において便利なことばとなる。けものフレンズ構文は「これを言っておけば間違いないだろう」という一種の便利グッズとしてネット上で使われるのではないだろうか。


 次にあげられる理由としては、けものフレンズの構文は思考を停止させる役割を持つということだ。けものフレンズ構文に使われる語彙は前述のように、少ない。代表的な「すごーい」「たのしーい」という言葉は、「すごーい」以上の意味も「たのしーい」以上の意味も持たない。単純なこれらの語彙は、その言葉を使って思考する我々の思考体系も単純化する。だから、けものフレンズ構文は楽なのだ。それを使えば、「すごい」以上のことも、「たのしい」以上のことも考えなくてすむ。語彙数の制限はすなわち我々の思考の範囲を狭めることを意味する。頭に浮かべる、声に出す語彙を減らすことで、我々の脳みそは楽をしようとしている。「すごい」「たのしい」、その言葉は単純で明快であるがゆえに私たちの思考を停止させてしまう。


 このとき念頭に浮かぶのはジョージ・オーウェルの作品『1984』に出てくる「ニュースピーク」の存在だ。ニュースピークは主人公の住むオセアニアという国において使われる言葉だ。この地域の大部分では元々英語が使われていた。しかし、全体主義的傾向を持つ党が英語を廃止し、「ニュースピーク」という新しい言語を作り出す。この言葉は、年々使われる語彙が減っていくことが特徴だ。党は、語彙を少なくすることで国民の思考を停止させ、国の方針に疑問を懐かせないようにすることを目的にニュースピークを作る。いわば、ニュースピークは言葉を使った隠れた思想管理だ。


 私は『1984』を読んだとき、なぜ人々がニュースピークに疑問を懐かないのか、ずっと不思議だった。言語は思考の根底だ。その言語が統制される、言語が強制される。このようなことは通常、人々にとって耐えがたいことなのではないかと思っていた。


 しかし、最近のけものフレンズ構文の流行を見ていると、もしかしたら語彙の制限というのは人間にとってそこまで苦痛なものなのではないのかもしれないと思い始めた。語彙を制限し、思考停止をするのは、はっきり言って楽だ。楽な方向に流されるのは、人間の性として仕方ないことだろう。何も考えずに生活できるならそれに越したことはない。


 こうして私はけものフレンズ構文の流行とは、我々自身が生み出した「ニュースピーク」の一種なのかもしれないなどと考えるのである。

*1:皮肉で使われた場合を除けば

*2:もちろん表層的でない深いつきあいもあるのかもしれないが

夜と霧の中で―アウシュヴィッツ訪問記―

 

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夢にまで見た場所にいることをはじめは信じられなかった。私は今までナチズム・ヒトラー全体主義絶滅収容所に関する多くの本を読んできた。しかし、それは私の中で一種の「ファンタジー」となってしまい、ユダヤ人虐殺の事実が私の中でいつの間にか別の世界の出来事のように感じられていたのだ。

 

そして、それはアウシュビッツに足を踏み入れた瞬間にも変わらなかった。“ARBEIT MACHT FREI”の文字は、何度も何度も写真で見たとおりに“B”の文字が上下逆になっていて、収容者たちのためのバラックがびっしりと並んでいる光景も写真で何度も眺めた通りだった。見たものが現実と思えない、そんな自分を不思議に思う自分をもう一人の自分で自覚しながら、奇妙な浮遊感と離人感を抱いたまま私はアウシュビッツの中にいた。

 

アウシュビッツでは初期の収容者たちは写真を3方面から撮られ、記録された。それらの写真が壁一面に張られた棟があった。写真たちは私のことをじっと見つめていたが、私はなんの感慨も湧かなかった。写真の中の目はわたしのことを責めるように光っていた。たくさんの展示物があったが、本で読んだことがある展示物ばかりで、ツアーガイドさんの説明が今まで学んだことの答え合わせのように感じられた。妙に冷静な自分が気持ち悪かった。そしてその時に感じたのは、このような過去に虐殺のあった現場にいるのになんの感情も抱かないことに対する罪悪感だった。

 

ガス室内部に入ったとき、壁に無数のひっかき傷があった。窒息の苦しみのあまり彼らは壁に取りすがったのだろう。死に瀕し、もだえ苦しんで壁に爪をたてる人々の様子は、容易に想像することができた。ガス室は殺風景で、がらんどうの空間だった。シーンとした冷たい空気があり、とても静かだった。私たちは、その静かで非人間的な空間をかき乱す闖入者でしかなかった。人間から離れた、人間を今まで忘れ去っていたような空間の中に人間的な苦しみの象徴であるひっかき傷があるのはなんだか不思議な感じさえした。しかし、いま考えてみるとあの部屋に充満していた「非人間的な雰囲気」は「死」であったのではないかと思う。「死」は人間が人間でなくなり、人間がただの物体となる瞬間だ。これ以上、非人間的なものがあるだろうか。

 

しかし、ガス室の中にいたときの私は、そのときでさえも誰かに操られているかのようにぼんやりしていて、自分が自分である実感を失ったままであった。なんの感慨もなくただひっかき傷を見つめ、虐殺の過去をただ受け止める器だった。ガス室を「ここがガス室であった」ということをただ受容することしかできておらず、非人間的なその空間の正体がなにであるのかについてなど、その部屋にいるときには、まったく考え及びもしなかった。ガス室の中にいるときでさえ、そこで殺されていったユダヤ人は私にとって想像上の生き物でしかなかった。

 

アウシュビッツから移動し、ビルケナウまで行ったあと、ビルケナウの中を一人で散歩した。ビルケナウにはアウシュビッツとは違って現存する建物はほとんどない。ソ連軍が迫ってきたときにナチスが火を放ち証拠隠滅を図ったためである。だだ広い敷地の中にかろうじて劫火から焼け残った煙突がぽつりぽつりと立っている、そんな場所である。散歩中、気温が30度を超え、乾燥した太陽がじりじりと首筋を焼いた。そんなときに、ああ、70年以上前、ユダヤ人たちもこの非情な太陽の下で労働に従事させられたのだ、とふと頭に浮かんだ。それが、初めて収容所の中にいたユダヤ人が現実のものとして感じられた瞬間だった。

 

しばらく散歩をすると、まったく周りに人影がなくなった。ビルケナウの東端にいつの間にか来ていたのである。横に堀があり、鉄条網があり、その反対側には廃墟があった。痛いほどの日差しは相変わらずで、土埃が一歩歩くごとに舞った。人の気配は全くなく、虫さえもそのときは静かだった。風もなく、私の肌を流れる汗だけが私には確実なもののように感じられた。ビルケナウは、とにかく広い。右手にただ煙突だけが残った廃墟、左手に鉄条網を眺めながらひたすら歩いても出口にはまるでたどり着かない。周りの景色は廃墟と鉄条網、そしてその先に見える森だけで、なんの変化もない。歩いても歩いても、廃墟があり、鉄条網があるだけだ。廃墟を追い越したと思っても、また同じような廃墟が現れる。こうして歩いているうちに、私は空恐ろしくなった。「生きているものがこの世界に私しかいない」。そんなように感じられたからだ。出口はいまだ見えず、視線の両端には先ほどと全く変わらぬ景色が広がっている。「このまま私は虐殺の記憶と共に一人だけここに取り残されるんじゃないだろうか」。無限にループするかのような景色と私以外全く生気のあるものが存在しないような雰囲気にとてつもない不安感を覚えた。

結局出口にはたどり着けたが、「生きている人が私しかいない」ような「すべてが死んでしまっている」ような「これが未来永劫続いていく」ような恐怖は私の脳みそにこびりついている。このときは、夢のような浮遊感は全く消え失せ、ただただ現実の恐怖だけが私の中にあった。いま思うと、収容されていた人々も同じような気持ちを抱いたことがあったのかしれないと思う。自分が生きていることは分かるが、周りにはまるで死体のように痩せこけた人々がいて、日々物を言わなくなる人々がいて、そしていつ解放されるのかわからない労働が続く。収容所の不思議な雰囲気に、私が飲み込まれた瞬間だったのかもしれない。

 

ただ、私はやはり収容者の苦しみ悲しみを本当に肌で感じ取れたとは到底思えない。私は、収容所の中で、収容者も感じたに違いない暑さも、いつ“これ”が終わるのか分からないという恐怖も感じた。しかし、それで私がアウシュビッツの収容者の気持ちを本当に理解できただなんて誰が断言することができるだろう。わたしはアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の当事者にはなりえない。実際に収容所に行くことで、収容者との隔絶をより一層感じたことは否定できない。

 

しかし、それについて考えた時に私はプリーモ・レーヴィについて思い出さずにはいられない。「一人だけ生き残ってしまった」「結局人々に収容所の本質について知らせるようなことはできないのではないだろうか」と、悩んで自殺したと言われているプリーモ・レーヴィ。彼はアウシュビッツの生存者として多くの書籍・講演で収容所内部での体験を語り続けた人物だった。正直、プリーモ・レーヴィの疑問は当たっているのではないかと個人的に思う。収容者がいくら精魂込めて収容所時代の苦しみを語ったとしても、その中にいなかった人間がその苦しさを本当に理解できる日なんて絶対に来ないのだ。痛ましい、かわいそうだ、と思ってもそれは収容所の外側から投げかけられる同情にすぎず、本質を外側の人間が知ることはできない。いくら収容所の記録を読もうとも、収容所の中の人々の汗の匂いを、ぴょんぴょんと飛び跳ねるノミの痒さを、やせ細った自分の体に自分の骨が突き刺さる痛さを「外側」にいた人間が実感することはできない。

 

ただ、「絶対に理解できないから」と理解しようとする道筋を放棄することは怠惰なことであろう。苦しみながらも「理解しようとし続ける」ことが私たちには求められているのだろう。

世の中には、ナチスによるホロコーストを否定し、認めない人々が一定数いる。そのような人たちは「理解しようとする努力」を究極的に手放した人たちなのではないだろうか。現在、移民が流入し続けるドイツではPEGIDA(西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)の活動が活発化し、AfD(ドイツのための選択肢。移民に対し強硬的であり排外的な傾向を持つ)が州議会で第2党となった。これらは再び少しずつドイツが排外主義に傾いている証拠であろう。そして、その傾向はドイツだけに限らず、多くの国々で起こっている現象とも思える。このような時こそ、人々はあまりにも現実離れした非人間的な出来事がヨーロッパの収容所で行われていたという過去を思い出し、収容者の苦しみを理解しようとし続ける努力を見失ってはならないだろう。

 

そして、私は収容所訪問を通して、その理解しようとし続けるための一歩目を踏み出せたのではないかと思い上がりかもしれないが考えるのである。

ヒールと不自由さ

ヒールの不自由さが好きだ。高いヒールであればあるほどいい。高いヒールであるほど不自由さが増すからだ。

 ヒールは、履く人間の自由を奪うことができる。ヒールを履いていると、躓きやすくなるし、早足で歩けないし、足裏が痛くなるので長い距離が歩けない。ヒールを履くことで私たちは知らず知らずのうちに活動を制限されているのだ。要するに、ヒールは綺麗にカモフラージュされた足枷なのである。それでも私たちはその不自由さを甘受して、ヒールを履く。

 さらに、あまりにも高いヒールの靴を履くとまっすぐ歩くこともできなくなる。そもそも、その靴は歩くためにデザインされていないからだ。ただ、足を綺麗に見せるというその一点の目的のためだけに作成されているような靴。その靴ではよちよちとしか歩けない。よちよち歩きのその様は中国の因習であった纏足さえも連想させる。纏足もやはり女性の不自由さの象徴だ。

 一方、スニーカーなどの歩きやすい靴は嫌いだ。歩きやすくて、自由で、どこにでも行けそうで途方にくれる。自由すぎて、目の前にある選択肢が多すぎて、私は何も選びたくなくなる。どこにでも行っていいよと突然言い渡された飼い犬のような気分になってうんざりする。だだっ広い、がらんどうの空間に突然放り出された気分になって、私はその自由さと輪郭のなさが嫌になってスニーカーを脱ぐ。

 ヒールなら、私は選択するべきことが少ない。どうせ遠い距離には行けないからだ。険しい道も通れないからだ。残された数個の選択肢しかない。その不自由さと窮屈さは私を安心させてくれる。

 それに、ヒールは女性らしさの記号だ。履いていると男の人に褒められたり、優しくしてもらえたりすることが多くなる。足が綺麗だね、背が高いね、足が長いね。歩きづらいだろうからタクシーに乗ろうか。歩きづらいだろうから一緒にいてあげるね。ヒールを履くことで私は自分の生き方をそっと方向付けるし、生き方は勝手に方向付けられていく。

 ヒールを履くという行為は私にとって「自由からの逃走」なのだ。自由であるがゆえに孤独な群衆にまぎれこんでしまって自分を見失ってしまうことがないように、私はヒールを履いて、不自由になって、安心をする。ヒールの不自由さを補ってくれる人を得て、一人ではないとほっとする。

 高いヒールは単なる靴のアクセントではない。私を不自由にしてくれる、大事な足枷なのだ。

 

 

 

 

 でもまあ男によっかかって生きてるような女って結局すごく嫌いなんですけどね、はい。

愛国心とナショナリズムとビジュアル系

  日本においてナショナリズムをテーマとして扱う音楽アーティストは少なくない。有名どころで言えば椎名林檎LOUDNESSなどが挙げられるだろうし、私の好きなビジュアル系に目を向けるとその数は一気に多くなる。例えば、初期のthe GazettER指定カミカゼ少年團、極東彼女などと枚挙にいとまがない。彼らのアーティスト写真には日章旗があしらわれ、メンバーは軍服に似た衣装や制帽を身につける。
 この記事では前述のようにビジュアル系が好きな私がビジュアル系アーティストと日本のナショナリズムの関係について考察してみたい。
 まず、ナショナリズムとアーティストの関係をおおまかに見てみよう。果たして本当にアーティストはナショナリズムを彼らのテーマにしているのだろうか? 答えは違うだろう。彼らにとってナショナリズムはファッションでしかない。
「なんかかっこいいから」。だから、彼らは日章旗を使い、銃を持ってPVを録り、歌詞に旧字体を使うのだ。
 その証拠に彼らの歌詞を見てみるとナショナリズムの発露とみられる曲よりもかえって反戦の曲が多いくらいだ。
例えば、R指定というビジュアル系バンドの「玉砕メランコリィ」という曲がある。

羽ヲ広ゲテ
空ヲ飛ビマス。
無為コソ過激
『日ノ丸ニ敬礼』

恋人よ僕が見えてますか?
恋人よ声が聞こえますか?
いつかまた会える気はしない...
焼き尽くす太陽照らしてくれ

『生まれて来なければよかった
どうせ死に逝く命ならば』
いつかまた会える気はしない...
未来の君の隣は誰だろう

せめて最後くらい咲きたい
君との日々はもう来ないけど
羽を広げ空を飛びます
明日を知らない御国ノ為に

 

 歌詞の一部を抜粋した。出征兵士の悲哀が描かれていると解釈して間違いないだろう。戦時歌謡曲「父よあなたは強かった」が「貧弱な歌謡曲」と戦時中に一部で思われていて、米軍人が「この曲は反戦歌か」と尋ねた話は有名だろう。この「玉砕メランコリィ」もその流れで考えると反戦歌としか言いようがない。
 しかし、曲調は決して暗くなく(まあ、暗くなる部分もあるのだが)、ライブでボーカルが「日の丸万歳」と叫ぶとファンも笑顔でその声に合わせて万歳のポーズをする。

 ここに、歌詞の内容と曲調と曲の演出に乖離が生じていることが分かる。
 一方で、同バンドには、「愛國革命」という曲もある。

「全員敬礼!!」

愛國革命
oh yeah!!
ok??

「病める国民に告ぐ!!ここからが革命の時代だ!!!」

国家斉唱 カリキュラム
誰かが 蒔いた 洗脳マインド
未確認飛行物体
五機体 迫る 空へとハイウェイ


アイアム ア ジャパニーズ ボーン
ブチ壊せ くだらん政治家の理想論とか
ブチ壊せ 国家権力に宣戦布告
ブチ壊せ 病んでる社会に一撃必殺
ブチ壊せ 今こそ日本に革命を!!(歌詞より一部抜粋)

 

 

 これはどう考えても反戦歌ではない。

 「愛國」という言葉が使われていること、國という文字が旧字体になっていること、革命という言葉が政治的な意味を持つこと、そして同時に英語詞が多く含まれていることがポイントだろう。
 まず、「愛國」という言葉であるがこれは“nationalism”と“patriotism”どちらの意味を指すのであろうか。次に革命についてであるが、これは字義通りの革命を指しているようである。国家権力に宣戦布告というのは暴力的革命を意味するのであろう。要するにこの曲は国家に対して愛国的戦争を起こし、国家権力を転覆させる革命を歌っているのだ。
 「愛國革命」と「玉砕メランコリィ」ではバンドのスタンスがまるで違うことが分かる。1つのバンドが全く違う主張をする曲を持っているのだ。これにはいささか違和感を持ちはしないか。

 ちなみにライブ映像を確認してみると愛國革命では曲の初めにメンバーがそろって敬礼をしている。軍国主義的なものをイメージしたのだろうか。
 

 さらに、ナショナリズムの定義と厳密に合わせて考えることも必要だろう。ナショナリズムの定義としてここではゲルナーの『民族とナショナリズム』におけるナショナリズムの定義を引用したい。曰く、

ナショナリズムとは)政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張するひとつの政治的原理

 


 この考え方は、R指定の「愛國革命」の中に明記されている。「アイアム ア ジャパニーズ ボーン」の部分が民族的単位を示していると考えられるからだ。ここで、この歌詞における愛國とはpatriotismでなくnationalismであることが分かる。
 

 ここでまとめてみると、①確かにビジュアル系バンドの歌詞にはナショナリズムの考えがちりばめられている②しかし、ナショナリズムのニュアンスがちりばめられているだけであってバンドのスタンスとして一貫した主義、思想があるわけではない③反戦歌も多い、という3点のことが分かる。


 そして、この2番目のポイントから、彼らのナショナリズムと音楽の関係はバンドがナショナリズムを利用しているだけであって、ナショナリズムが元になって音楽が形作られている訳ではないという結論が導き出せる。故に私はナショナリズムが彼らにとってファッションであると表現したのだ。
 

 しかし、ではなぜビジュアル系バンドはナショナリズムを利用したがるのだろうか。
 ビジュアル系がナショナリズムを取り入れたがる魂胆の根幹にあるのはビジュアル系の持つ一種の選民思想、排他性ではないかと考える。この2つはナショナリズムと強い繋がりを持つ。
 ビジュアル系は言わずもがな派手なメイクを特徴としロックサウンドを奏でる音楽シーンであるが、これはまずメインカルチャーとは成りがたいものである。

 ビジュアル系が好きな女の子たちは自らのことを「バンギャ」と称し、ビジュアル系に興味がないひとを「パンピ」と呼ぶ。「パンピ」とは「一般ピープル」という言葉の略であり、この呼び方はあたかもバンギャである自分たちを特別な存在であると相対化しているように感じられる。
 さらに、ビジュアル系、バンギャの世界には独自のルールがたくさんある。最前(ライブハウスで一番前の場所)を取るために仕切り(そのバンドのファンの場所をまとめる人)と交渉しなければならないというルールがあったり、バンドごとに独自のフリ(曲に合わせて手を動かすこと。一種のダンスのようなものを想像してもらえればいい)を持っていたりする。これらの独特の伝統は一見しただけではそうそう理解できず、慣れる作業が不可欠となる。これがビジュアル系の持つ排他性だ。
 つまり、バンギャの選ばれた特別な者としての意識(もちろん選ばれてなんていないのだが)が自国を礼賛する大日本帝国ナショナリズムと繋がるのではないか。
 そのバンギャの無言の要請を受けて、選民意識を吸収するためにビジュアル系バンドは日本的ナショナリズムを曲中やバンドのパフォーマンスに取り入れる。これがまたバンギャに影響を与えバンドはますますナショナリズム的ファッションを身にまとうようになる。この相互性がビジュアル系とナショナリズムの関係性を深めていったと私は考えるのである。
 どこかの国が「America First」などと言っている世の中であるが日本でもそうやって狭いバンギャの世界で「Japan First」的な文化が流行しているのである。
 厨二病愛国主義ナショナリズムの旗手であったはずの椎名林檎東京オリンピックのプランニング担当になった今、音楽シーンとナショナリズムはますます繋がりを強めていくのだろうか。ビジュアル系に限らず日本の音楽シーンの変化が気になる今日この頃である。

もし真に道徳的な人間がいるとすれば、それはマゾヒストただ一人である

 マゾヒストの感情は不思議なものだ。動物である人間は痛いことを本能的に避けようとするのが普通だろう。しかし、マゾヒストは痛みを受け入れていく。しかも受け入れるだけではない。快感として自分の中に取り込んでいくのだ。

  一本鞭で打たれている人間を見たことがある。衣服は着けていたのだが、薄い生地だったので打たれる度に何本者赤い糸が尻に浮かび上がるのが端から見ている私の目にも分かった。赤い細い跡は時間を経る度に重なり合い尻全体を赤く染めていく。責める側が打ち終わり、マゾヒストに「大丈夫?」と声を掛けたとき、マゾヒストは「気持ちよかったです。ありがとうございます。前より耐えられて嬉しかったです」と嬉しそうに答えた。

  だが、「気持ちよかった」と「前よりも耐えられた」という2つの言葉が並ぶのは少し奇妙な気がする。なぜならば、「耐える」という言葉は通常、嫌なことに対して使う言葉だからだ。つまり、言葉通りに解釈すると彼女にとって鞭で打たれたのは気持ちよかったが、同時に耐えなければならない嫌なことであったという結論になる。

  そうしてみるとやはり奇妙だ。耐えなければいけないほど嫌なことが気持ちいいとはどういうことなのか? 畢竟、なぜマゾヒストは苦痛を快感として受け入れていくのか?

  その謎を考えるときにキーワードとなる言葉は「罪」と「罰」であると私は考える。そして、サディストとマゾヒストの作る関係性を1つの社会として見なしたい。サディストとマゾヒストの関係は罪と罰を根幹にした2人の社会だ。

  この社会の中で、サディストはマゾヒストに罰を与えていくのだ。鞭であろうと蝋燭であろうと苦痛という罰をサディストはマゾヒストに与える。

 罰があるということはその原因である罪も存在しなくてはならない。では、罰を受ける側であるマゾヒストの犯した罪とは何か。それは、性というタブーである。マゾヒストはサディストと背徳的でエロティックな社会を作る。しかし、性的な関係というのはSMのみならず一般的に忌避されるべきものだ。「快楽を得るための性」というのは道徳上、下劣なものだと多くの宗教や地域で考えられている。恋人は良いがセックスはだめ、という矛盾をはらんだ社会的な観念があるが、まさにそのようなことだ。マゾヒストはサディストから性的興奮を得ようとする存在であり、それ故にマゾヒストは快楽のための性というタブーを犯しているのだ。そうしてマゾヒストは罰されなければならない存在として2人の社会の中に現れる。

  そうしてサディストはタブーを犯しているマゾヒストを罰するのだ。マゾヒストが罰されている瞬間とは社会的正義が守られている瞬間であり、マゾヒストにとって贖罪の瞬間なのだ。この贖罪の感覚がマゾヒストにとって快楽となるのではないだろうか。サディストによる苦痛はマゾヒストにとって「許されている証明」なのだ。その「許し」は1人の人間に罪のない人間としての存在理由を与える。通常、社会の中で「許し」というプロセスを実感できることは少ない。しかしこの社会にいればマゾヒストは簡単に分かりやすい「許し」を得ることができるのだ。そうしてマゾヒストは「許し」という快楽を受け取る。サディストとマゾヒストのプレイはその社会の中での道徳的行為として完成する。

 しかし、ここで注意したいのはマゾヒストが受け取る「許し」という快感も、性的快感に他ならないということである。つまり、許され、快感がきた瞬間にその快感もまた罪となる。サディストとマゾヒストの社会では「罪」「許し(罰)」「快感」という3つの要素が絶えず入れ替わる。

  少し話が飛ぶが、キリスト教では原罪を犯した人間という、元から罪を背負った人間像が見られる。このキリスト教社会では殉教が尊いものとして重視されるが(特に原始的なキリスト教に近付けば近付くほどに)、これも殉教で自分の原罪を払うという考えが根底にはあるようだ。そう見るとこのキリスト教社会における殉教の精神とSMでのマゾヒストの精神は一致する。どちらも罪の背負った人間が罪から解放されるプロセスだからだ。ニーチェは「もし真のキリスト教徒がいるとすれば、それはイエスただ一人である」と贖罪の精神を失った教会を批難し人間の原罪を背負って死んだイエスのみをキリスト者として認めた。SMの社会でマゾヒストが性的快楽を求めるという原罪を背負っている者とみなす以上、この言葉にならって「もし真に道徳的な人間がいるとすれば、それはマゾヒストただ一人である」と言うことができるだろう。

  以上のように、マゾヒストの快楽とは社会的正義がなされる快感であり、サディストとの「罪と罰」という行為の中で完成するものなのだ。