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褻の日記

耽美っぽい文章を書きます

相模原障害者施設殺傷事件はリベラリズムへの返答である

 相模原での障害者殺傷事件は戦後最悪の死傷者数を出した事件として日本の歴史に不名誉な傷跡を残している。当初からナチズムと関連づけられた報道が多くなされ、T4作戦の名前が取りざたされた。T4作戦とはナチスによるユダヤ人の計画的抹殺の前哨戦とも言われるようなもので、彼らの優生学に従った計画であった。精神病患者、障害者たちを計画的に殺害したのがまさにその内容である。実際、施設の職員としての勤務歴を持っていた容疑者は「障害者は安楽死させるべきだ」などという発言をし、施設によりナチスと同じ考えだ、などと批判されてもいたらしい。

 容疑者の考え方は、「障害者は社会の厄介者」である、というテーゼが核になっているようだ。障害者を養うのにも金がかかっており、それは無駄遣いであると容疑者は考える。なるほど、障害者は弱者だ。一生社会の役に立つことがないと分かっているような弱者を我々が養わなくてはならない理由はどこにある? 障害者は生かされる価値のある人間なのか? 話はこういったところに落ち着く。

 一見正論であるようにも思われかねない考え方だ。良い社会を作るためにはその健常者の枠から外れてしまった者を消すことが一番早い。なんとも分かりやすい論理だ。この論理の裏側には「徹底した合理化」「絶対的な価値観」という2つの存在が見受けられる。

 そして、その2つの考え方は現代のリベラリズムへの応答なのではないかと私は考える。第二次世界大戦が終わり、ますますグローバル化し、リベラルな西洋主義が諸手を挙げて歓迎されてきたこの70年。それに対する反動がこういった考え方なのではないか。

 これについて考えるとき、まずはリベラリズムの持つ矛盾について目を向けなくてはならない。リベラリズムは、個人個人の性格、志向に重きを置き、個人の自由な行動を促進する。個人個人は自由な考え方を持つことができ、尊重される。言い方を変えれば、リベラリズムは個人をモナドと考えているといってもいいかもしれない。これらの個人は交流するという点でライプニッツの言う厳密な意味からは離れるが、個人個人は全く違う存在(=モナド)なのであり、彼らが違う行動を取るのは当然のこと。そうして、個人個人の自由な行動も、自由な考え方も保障される。

 しかし、人が自分のしたいように行動すると何が起こるか。例えば、ある人は暴力を正当な手段だと考えるかもしれない。他方、ある人は暴力は絶対に忌避されるべき存在だと思っている。この両者は考え方で対立していて一方が他方に危害を及ぼす可能性がある。また、ある人は異教徒を殺していいと考えるかもしれない。ある人の自由な意志がある人の行動を邪魔したり、ある人を傷つけたり、ということが起きてくるのである。

 それ故、リベラリズムの中ではいくらモナドの自由を認めようとも社会の規範、共通認識、ひいては共通善を求めることが必要とされる。これらは個人の行動をある程度束縛する。この束縛は個人が自由に考え生きることを推進する抜本的なリベラリズムの考え方と相容れないものだ。だが、規範のないリベラリズムがどうなるかは容易に想像がつくだろう。ゆえに規範抜きにリベラリズムは現実社会の中に立ち現れることができない。リベラリズムは現実社会に存在するために矛盾をはらんだままでいる。

 この矛盾というのは、なんともむず痒いものだ。リベラリズムは完全なものではないのである。

 また、リベラリズムは相対化の考え方でもある。上記では共通善が登場するが、元来はそれぞれがそれぞれの人生を歩むことが推奨され、絶対的な基準というのは回避される。リベラリズムの産みの親となったフランス革命を見てみるといい。フランス革命は王という絶対君主を打ち倒すことが重要な要素となった。

 絶対化は非人間性をしばしば生み出す。それはナチスの絶対の基準であった「Volk」の考えが生んだショアーを考えればいいかもしれないし、共産主義の絶対の基準であった「歴史」の生んだジェノサイドを考えればいいかもしれない。では、その反対である相対化がとても良いものであるかというとそうとも言い切れない。

 というのも、相対化は人間の拠り所を奪ってしまう可能性を抱いているからである。相対化は、人間の寄る辺のなさを強調し、ニヒリズムの親となることがある。自らの基盤やアイデンティティが、相対化により大きな世界の中に完全に飲み込まれてしまったときに、人間は一体どんな行動をとればいいのだろうか。

 上記のようにリベラリズムは矛盾を内包している。しかも、リベラリズムの相対性には限界があるのだ。しかし、リベラリズムは現代において重視されてきた。日本もその例に漏れない。日本は西洋の考えを吸収し、その流れの中でリベラリズムも自らのものにした。

 そして、リベラリズムの持つ暗黙の矛盾への違和感が発露したものがこの事件を引き起こしたのではないか、と考えるのである。

 全ての人の自由、平等が謳われていながらも現実では平等なのか分からないような重度の障害者の方がいるという事実。本来ならば自分のものであるはずのお金がその障害者一人を生かすために使われている現実。相対化されニヒリズムに陥ったときにそれを克服するために施設の中にあらわれる強者としての健常者。相対化の果てに現れ、健常者を善、障害者を悪とする絶対化の考え。

 そういったものがこの相模原障害者施設の事件の裏には潜んでいるのではないだろうか。そういった考えを持つ傾向のあった人が、障害者を前にして事件を起こしてしまったのではないか。

 もちろん、私は容疑者を擁護するつもりは全くない。万死に値する行為だと思っている。障害者の権利は絶対に守られるべきであろう。ただ、リベラリズムの持つ歪みという文脈でこの事件を読むこともできるのではないかと考えるのである。

 リベラリズムは確かに重要な考え方だ。しかし、それが暗礁に乗りあげる可能性もある以上、我々はどうやってそれに対処しうるだろう。

 

いなか、のじけん

 『いなかの、じけん』。これは、異色の探偵小説作家・夢野久作が1927年に雑誌『猟奇』『探偵趣味』の両誌に発表したショートショートである。滑稽なものから陰惨な事件まで土着の風習と絡められた小話が20編続くのだが、『猟奇』という雑誌に作品が掲載されていたという事実からも分かる通り、ぞっとする内容の作品が大半を占める。この作品のユニークなところは、「みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。」という作者による備考が作品に添えられているところである。つまり、実際にこのような因習に囚われた陰惨な事件が起きたのかもしれない、と読みながら読者は肝を冷やさずにいられないのである。現代社会に生きる私たちにとって、1920年代の片田舎など想像することしかできず、そのことが作品に妙なリアリティを与えている。作品を一つ一つ読み進めるうちに、読者は田舎のムッとしたくさいきれや、掘り返したばかりの土の匂い、もしくは湿った畳から立ち上る生臭さ、そんなものたちを想像の中で追体験することとなるだろう。

 このショートショートの中でも私がおすすめするのは「郵便局」という作品である。この作品の中には、知的障害を持つ美しい少女、他人の噂話にしか楽しみの見出せない人々、少女の凄惨すぎる最期と奇妙で不気味な子守歌といった恐ろしくも心惹かれずにはいられないモチーフがちりばめられている。一つのショートショートとして完成度が高い作品であるかというと決してそんなことはないのだが、倫理や道理が崩壊した先にある倒錯した美しさが短い中に凝縮されている。

 夢野久作というと『ドグラ・マグラ』、『少女地獄』など、読者をその作品の中で迷子にさせるような、そんな奇妙な作品が多い。しかし、今作はショートショートということもありシンプルで読みやすい構造なので、夢野久作という名前は聞いたことがあるが、手を出しにくい……という人にもぴったりの作品であるといえよう。ただ、今作品は紙媒体だと全集にしか収録されていないために、紙媒体で読むのはなかなか難しい。そのため、私がおすすめするのは青空文庫に収録されている今作品を読むことである。ぜひ検索して目を通してみてほしい。きっと陰鬱な世界が口を開けてあなたを待っていることだろう。

けものフレンズ構文とニュースピーク

 けものフレンズ、というアニメが流行っている。このアニメを有名にしたのは、このアニメの登場人物であるサーバルちゃんの「すごーい!」「たのしーい!」といった単純な語彙の数々である。インターネットの住人達は、「すごーい!君は○○の得意なフレンズなんだね!」とサーバルちゃんの名言に各々の単語を代入してはコミュニケーションし合う。いまやtwitterを開けばけものフレンズ構文が否応なしに目に飛び込んでくる。しかし、なぜこのようなサーバルちゃんのように極端に語彙を制限した構文がいまインターネットを席巻しているのだろうか。


 理由として第一にあげられるのは、何よりもその言葉の明快さだろう。「すごい」「たのしい」という言葉はただただポジティブな意味しか持たない。この言葉を使えば角の立つやりとりとなる可能性が排除される*1。明快であるがゆえに、本意は隠されやすく、インターネットといった表層的なつきあい*2において便利なことばとなる。けものフレンズ構文は「これを言っておけば間違いないだろう」という一種の便利グッズとしてネット上で使われるのではないだろうか。


 次にあげられる理由としては、けものフレンズの構文は思考を停止させる役割を持つということだ。けものフレンズ構文に使われる語彙は前述のように、少ない。代表的な「すごーい」「たのしーい」という言葉は、「すごーい」以上の意味も「たのしーい」以上の意味も持たない。単純なこれらの語彙は、その言葉を使って思考する我々の思考体系も単純化する。だから、けものフレンズ構文は楽なのだ。それを使えば、「すごい」以上のことも、「たのしい」以上のことも考えなくてすむ。語彙数の制限はすなわち我々の思考の範囲を狭めることを意味する。頭に浮かべる、声に出す語彙を減らすことで、我々の脳みそは楽をしようとしている。「すごい」「たのしい」、その言葉は単純で明快であるがゆえに私たちの思考を停止させてしまう。


 このとき念頭に浮かぶのはジョージ・オーウェルの作品『1984』に出てくる「ニュースピーク」の存在だ。ニュースピークは主人公の住むオセアニアという国において使われる言葉だ。この地域の大部分では元々英語が使われていた。しかし、全体主義的傾向を持つ党が英語を廃止し、「ニュースピーク」という新しい言語を作り出す。この言葉は、年々使われる語彙が減っていくことが特徴だ。党は、語彙を少なくすることで国民の思考を停止させ、国の方針に疑問を懐かせないようにすることを目的にニュースピークを作る。いわば、ニュースピークは言葉を使った隠れた思想管理だ。


 私は『1984』を読んだとき、なぜ人々がニュースピークに疑問を懐かないのか、ずっと不思議だった。言語は思考の根底だ。その言語が統制される、言語が強制される。このようなことは通常、人々にとって耐えがたいことなのではないかと思っていた。


 しかし、最近のけものフレンズ構文の流行を見ていると、もしかしたら語彙の制限というのは人間にとってそこまで苦痛なものなのではないのかもしれないと思い始めた。語彙を制限し、思考停止をするのは、はっきり言って楽だ。楽な方向に流されるのは、人間の性として仕方ないことだろう。何も考えずに生活できるならそれに越したことはない。


 こうして私はけものフレンズ構文の流行とは、我々自身が生み出した「ニュースピーク」の一種なのかもしれないなどと考えるのである。

*1:皮肉で使われた場合を除けば

*2:もちろん表層的でない深いつきあいもあるのかもしれないが

VRとデカルトの死

友人の家ではやりのVR(Virtual reality)とやらを試させてもらった。一言で言うと、面白い。仮想世界で遊ぶ経験は初めてであったため、とても新鮮で刺激的だった。VRを使って的当てゲームをしたのだが、仮想世界の中のキャラクターが自分の思った通りの動きをして的に矢を当てていく様は非常に爽快だった。

VRをする際はヘルメットのようなものでかぶり、視覚を完全に覆う。リアルの世界の情報は嗅覚と触覚と聴覚でしか感知できない。また、両手にもVRの装置を装着するので、触覚もほぼ失われるといっていい。そうして触覚は奪われ、視覚は完全にVRと一体となる。私と友人はYouTubeでVRと合う音楽を流していたので、聴覚もリアルの世界からは失われていた。外界からの情報は遮断され、VR内の情報だけが視覚を通して自分に流れ込んでくる。

そんな様子だから、VRのヘルメットを外したときは非常な違和感があった。

「あれ? 私がいた世界ってこんなのだったっけ」

要するに、VRの世界の方が本物で、リアルの世界が偽物のように感じられたのである。VRの中で私は薄暗く、地平線が無限に広がる場所に立っていた。ところがどうだ。ヘルメットを外すと、電球はまぶしく、私が居た場所は決して広くないただの部屋だった。さっきまでは無限に広がった世界に一人でたっていたのに。ヘルメットをとった瞬間から、世界がよそよそしく遠く感じられた。本当の世界のよそよそしさは気味が悪く、私は途方にくれた。部屋の壁にかかっているアニメキャラだけが私を眺めて笑っていた。どっちが本当の世界なのだろうか。本当の世界への違和感はなかなかぬぐえなかった。

そのときにまず思い出したのは、「胡蝶の夢」の話である。胡蝶の夢は説明するまでもないだろうが、荘子の説話だ。ある男が、蝶になった夢を見る。しかし、夢から覚めた男は考える。「実はいまここにいる自分は蝶が見ている夢なのかもしれない」。彼が蝶になったと夢を見たと、蝶が夢の中で思い込んでいるのかもしれないのである。彼は人間になった夢を見ている蝶なのか。はたまた、蝶になった夢をみたと思っている人間なのか。私はまさにVRで胡蝶の夢と同じようなことを追体験した。VRの私が本当に感じられて、リアルの私が間違いのように感じられた。ヘルメットを外したときの私は、自分を人間になった夢をみている蝶だと思った。

また、胡蝶の夢よりも強く想起したのはデカルトの「我思う、故に我あり」という言葉である。すべてを懐疑したデカルトは、思惟の主体である自分だけは疑うことができず、その自分だけを確かな存在として認めた。心身二元論の主たる立場といってもいいだろう。

VRの世界から脱した私はこの言葉を思い出し、デカルトのこの言葉が完全に否定されたと思った。

もちろん、このデカルトの言葉はすでに様々な人間によってくり返し反論されている。最も有名な例をあげよう。

まず、「我思う、故に我あり」を三段論法で考える。

①私は思っている。

②思うことができるということは存在しているということである。

③故に私は存在している。

一見しただけで間違いに気付くだろう。①の時点において「私」という「主語」が規定されており、証明されなければならない「私」とコンフリクトしているのである。証明の結果として現れなければならない「私」が証明の過程ですでに登場しているというのは論理的な欠陥に他ならない。

 VRにおいては、別の方法でデカルトの言葉が反論されると思った。VRをしているとき、世界には2種類の私が存在している。リアルの私とヴァーチャルな私の2種類だ。便宜上、ここでは実際に世界にいる私を「私」、VRの世界の中にいる私を「私’」と名付ける。

私’はリアルの世界で存在していない。しかし、私’は思考する。私と私’は同じ思考体系を持っているからである。私と私’は表裏一体の関係だ。私’は私を通して思考をしている。私が考えて実行したことを私’は同じように実行する。私と私’になんの違いがあるだろうか。

確かに、私がいなければ私’はVRの中で存在しない。私’は独立した存在ではない。私に依拠している。当然だ。私が私’を作り出すのだから。私’は独立した存在では無く、リアルに存在する存在でもない。しかし、私’は考える。私を媒介にして私’は考えている。VR内の情報を得て思考する私とそれを受け取ってVR内で思考する私’の違いが「私」には分からない。私’はリアルには存在しないが、私と全く同じ思考の元に行動する「私」なのだ。こうして、私=私’となる。しかし、この関係には決定的な違いがある。私’がリアルの世界に生きること(つまり、存在すること)はない。

ここで、デカルトの話に戻ろう。デカルトの言葉を少しいじくってみる。我(=私)に私’を代入する。すると、

「私’考える故に私’あり」

という言葉が誕生する。

私’は私と同一なので「考える」が、私’は実際には存在していない。こうして、デカルトのこの言葉は反証される。私=私'である以上、この言葉は正しいが、一方で私’はリアルに存在しないのだから。VRが登場し、仮想世界の私’や誰か’が生まれたとき、デカルトの言葉は置いてけぼりにされてしまった。こうして、デカルトはVRの誕生で何度目かの死を遂げた。

やはり、VRの登場というのは、人間の思考や行動、心理に影響を与えるものに他ならないだろう。VRはきっと、私たちの世界をゆっくりと、しかし着実に変えていくに違いない。

夜と霧の中で―アウシュヴィッツ訪問記―

 

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夢にまで見た場所にいることをはじめは信じられなかった。私は今までナチズム・ヒトラー全体主義絶滅収容所に関する多くの本を読んできた。しかし、それは私の中で一種の「ファンタジー」となってしまい、ユダヤ人虐殺の事実が私の中でいつの間にか別の世界の出来事のように感じられていたのだ。

 

そして、それはアウシュビッツに足を踏み入れた瞬間にも変わらなかった。“ARBEIT MACHT FREI”の文字は、何度も何度も写真で見たとおりに“B”の文字が上下逆になっていて、収容者たちのためのバラックがびっしりと並んでいる光景も写真で何度も眺めた通りだった。見たものが現実と思えない、そんな自分を不思議に思う自分をもう一人の自分で自覚しながら、奇妙な浮遊感と離人感を抱いたまま私はアウシュビッツの中にいた。

 

アウシュビッツでは初期の収容者たちは写真を3方面から撮られ、記録された。それらの写真が壁一面に張られた棟があった。写真たちは私のことをじっと見つめていたが、私はなんの感慨も湧かなかった。写真の中の目はわたしのことを責めるように光っていた。たくさんの展示物があったが、本で読んだことがある展示物ばかりで、ツアーガイドさんの説明が今まで学んだことの答え合わせのように感じられた。妙に冷静な自分が気持ち悪かった。そしてその時に感じたのは、このような過去に虐殺のあった現場にいるのになんの感情も抱かないことに対する罪悪感だった。

 

ガス室内部に入ったとき、壁に無数のひっかき傷があった。窒息の苦しみのあまり彼らは壁に取りすがったのだろう。死に瀕し、もだえ苦しんで壁に爪をたてる人々の様子は、容易に想像することができた。ガス室は殺風景で、がらんどうの空間だった。シーンとした冷たい空気があり、とても静かだった。私たちは、その静かで非人間的な空間をかき乱す闖入者でしかなかった。人間から離れた、人間を今まで忘れ去っていたような空間の中に人間的な苦しみの象徴であるひっかき傷があるのはなんだか不思議な感じさえした。しかし、いま考えてみるとあの部屋に充満していた「非人間的な雰囲気」は「死」であったのではないかと思う。「死」は人間が人間でなくなり、人間がただの物体となる瞬間だ。これ以上、非人間的なものがあるだろうか。

 

しかし、ガス室の中にいたときの私は、そのときでさえも誰かに操られているかのようにぼんやりしていて、自分が自分である実感を失ったままであった。なんの感慨もなくただひっかき傷を見つめ、虐殺の過去をただ受け止める器だった。ガス室を「ここがガス室であった」ということをただ受容することしかできておらず、非人間的なその空間の正体がなにであるのかについてなど、その部屋にいるときには、まったく考え及びもしなかった。ガス室の中にいるときでさえ、そこで殺されていったユダヤ人は私にとって想像上の生き物でしかなかった。

 

アウシュビッツから移動し、ビルケナウまで行ったあと、ビルケナウの中を一人で散歩した。ビルケナウにはアウシュビッツとは違って現存する建物はほとんどない。ソ連軍が迫ってきたときにナチスが火を放ち証拠隠滅を図ったためである。だだ広い敷地の中にかろうじて劫火から焼け残った煙突がぽつりぽつりと立っている、そんな場所である。散歩中、気温が30度を超え、乾燥した太陽がじりじりと首筋を焼いた。そんなときに、ああ、70年以上前、ユダヤ人たちもこの非情な太陽の下で労働に従事させられたのだ、とふと頭に浮かんだ。それが、初めて収容所の中にいたユダヤ人が現実のものとして感じられた瞬間だった。

 

しばらく散歩をすると、まったく周りに人影がなくなった。ビルケナウの東端にいつの間にか来ていたのである。横に堀があり、鉄条網があり、その反対側には廃墟があった。痛いほどの日差しは相変わらずで、土埃が一歩歩くごとに舞った。人の気配は全くなく、虫さえもそのときは静かだった。風もなく、私の肌を流れる汗だけが私には確実なもののように感じられた。ビルケナウは、とにかく広い。右手にただ煙突だけが残った廃墟、左手に鉄条網を眺めながらひたすら歩いても出口にはまるでたどり着かない。周りの景色は廃墟と鉄条網、そしてその先に見える森だけで、なんの変化もない。歩いても歩いても、廃墟があり、鉄条網があるだけだ。廃墟を追い越したと思っても、また同じような廃墟が現れる。こうして歩いているうちに、私は空恐ろしくなった。「生きているものがこの世界に私しかいない」。そんなように感じられたからだ。出口はいまだ見えず、視線の両端には先ほどと全く変わらぬ景色が広がっている。「このまま私は虐殺の記憶と共に一人だけここに取り残されるんじゃないだろうか」。無限にループするかのような景色と私以外全く生気のあるものが存在しないような雰囲気にとてつもない不安感を覚えた。

結局出口にはたどり着けたが、「生きている人が私しかいない」ような「すべてが死んでしまっている」ような「これが未来永劫続いていく」ような恐怖は私の脳みそにこびりついている。このときは、夢のような浮遊感は全く消え失せ、ただただ現実の恐怖だけが私の中にあった。いま思うと、収容されていた人々も同じような気持ちを抱いたことがあったのかしれないと思う。自分が生きていることは分かるが、周りにはまるで死体のように痩せこけた人々がいて、日々物を言わなくなる人々がいて、そしていつ解放されるのかわからない労働が続く。収容所の不思議な雰囲気に、私が飲み込まれた瞬間だったのかもしれない。

 

ただ、私はやはり収容者の苦しみ悲しみを本当に肌で感じ取れたとは到底思えない。私は、収容所の中で、収容者も感じたに違いない暑さも、いつ“これ”が終わるのか分からないという恐怖も感じた。しかし、それで私がアウシュビッツの収容者の気持ちを本当に理解できただなんて誰が断言することができるだろう。わたしはアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の当事者にはなりえない。実際に収容所に行くことで、収容者との隔絶をより一層感じたことは否定できない。

 

しかし、それについて考えた時に私はプリーモ・レーヴィについて思い出さずにはいられない。「一人だけ生き残ってしまった」「結局人々に収容所の本質について知らせるようなことはできないのではないだろうか」と、悩んで自殺したと言われているプリーモ・レーヴィ。彼はアウシュビッツの生存者として多くの書籍・講演で収容所内部での体験を語り続けた人物だった。正直、プリーモ・レーヴィの疑問は当たっているのではないかと個人的に思う。収容者がいくら精魂込めて収容所時代の苦しみを語ったとしても、その中にいなかった人間がその苦しさを本当に理解できる日なんて絶対に来ないのだ。痛ましい、かわいそうだ、と思ってもそれは収容所の外側から投げかけられる同情にすぎず、本質を外側の人間が知ることはできない。いくら収容所の記録を読もうとも、収容所の中の人々の汗の匂いを、ぴょんぴょんと飛び跳ねるノミの痒さを、やせ細った自分の体に自分の骨が突き刺さる痛さを「外側」にいた人間が実感することはできない。

 

ただ、「絶対に理解できないから」と理解しようとする道筋を放棄することは怠惰なことであろう。苦しみながらも「理解しようとし続ける」ことが私たちには求められているのだろう。

世の中には、ナチスによるホロコーストを否定し、認めない人々が一定数いる。そのような人たちは「理解しようとする努力」を究極的に手放した人たちなのではないだろうか。現在、移民が流入し続けるドイツではPEGIDA(西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)の活動が活発化し、AfD(ドイツのための選択肢。移民に対し強硬的であり排外的な傾向を持つ)が州議会で第2党となった。これらは再び少しずつドイツが排外主義に傾いている証拠であろう。そして、その傾向はドイツだけに限らず、多くの国々で起こっている現象とも思える。このような時こそ、人々はあまりにも現実離れした非人間的な出来事がヨーロッパの収容所で行われていたという過去を思い出し、収容者の苦しみを理解しようとし続ける努力を見失ってはならないだろう。

 

そして、私は収容所訪問を通して、その理解しようとし続けるための一歩目を踏み出せたのではないかと思い上がりかもしれないが考えるのである。

ヒールと不自由さ

ヒールの不自由さが好きだ。高いヒールであればあるほどいい。高いヒールであるほど不自由さが増すからだ。

 ヒールは、履く人間の自由を奪うことができる。ヒールを履いていると、躓きやすくなるし、早足で歩けないし、足裏が痛くなるので長い距離が歩けない。ヒールを履くことで私たちは知らず知らずのうちに活動を制限されているのだ。要するに、ヒールは綺麗にカモフラージュされた足枷なのである。それでも私たちはその不自由さを甘受して、ヒールを履く。

 さらに、あまりにも高いヒールの靴を履くとまっすぐ歩くこともできなくなる。そもそも、その靴は歩くためにデザインされていないからだ。ただ、足を綺麗に見せるというその一点の目的のためだけに作成されているような靴。その靴ではよちよちとしか歩けない。よちよち歩きのその様は中国の因習であった纏足さえも連想させる。纏足もやはり女性の不自由さの象徴だ。

 一方、スニーカーなどの歩きやすい靴は嫌いだ。歩きやすくて、自由で、どこにでも行けそうで途方にくれる。自由すぎて、目の前にある選択肢が多すぎて、私は何も選びたくなくなる。どこにでも行っていいよと突然言い渡された飼い犬のような気分になってうんざりする。だだっ広い、がらんどうの空間に突然放り出された気分になって、私はその自由さと輪郭のなさが嫌になってスニーカーを脱ぐ。

 ヒールなら、私は選択するべきことが少ない。どうせ遠い距離には行けないからだ。険しい道も通れないからだ。残された数個の選択肢しかない。その不自由さと窮屈さは私を安心させてくれる。

 それに、ヒールは女性らしさの記号だ。履いていると男の人に褒められたり、優しくしてもらえたりすることが多くなる。足が綺麗だね、背が高いね、足が長いね。歩きづらいだろうからタクシーに乗ろうか。歩きづらいだろうから一緒にいてあげるね。ヒールを履くことで私は自分の生き方をそっと方向付けるし、生き方は勝手に方向付けられていく。

 ヒールを履くという行為は私にとって「自由からの逃走」なのだ。自由であるがゆえに孤独な群衆にまぎれこんでしまって自分を見失ってしまうことがないように、私はヒールを履いて、不自由になって、安心をする。ヒールの不自由さを補ってくれる人を得て、一人ではないとほっとする。

 高いヒールは単なる靴のアクセントではない。私を不自由にしてくれる、大事な足枷なのだ。

 

 

 

 

 でもまあ男によっかかって生きてるような女って結局すごく嫌いなんですけどね、はい。

愛国心とナショナリズムとビジュアル系

  日本においてナショナリズムをテーマとして扱う音楽アーティストは少なくない。有名どころで言えば椎名林檎LOUDNESSなどが挙げられるだろうし、私の好きなビジュアル系に目を向けるとその数は一気に多くなる。例えば、初期のthe GazettER指定カミカゼ少年團、極東彼女などと枚挙にいとまがない。彼らのアーティスト写真には日章旗があしらわれ、メンバーは軍服に似た衣装や制帽を身につける。
 この記事では前述のようにビジュアル系が好きな私がビジュアル系アーティストと日本のナショナリズムの関係について考察してみたい。
 まず、ナショナリズムとアーティストの関係をおおまかに見てみよう。果たして本当にアーティストはナショナリズムを彼らのテーマにしているのだろうか? 答えは違うだろう。彼らにとってナショナリズムはファッションでしかない。
「なんかかっこいいから」。だから、彼らは日章旗を使い、銃を持ってPVを録り、歌詞に旧字体を使うのだ。
 その証拠に彼らの歌詞を見てみるとナショナリズムの発露とみられる曲よりもかえって反戦の曲が多いくらいだ。
例えば、R指定というビジュアル系バンドの「玉砕メランコリィ」という曲がある。

羽ヲ広ゲテ
空ヲ飛ビマス。
無為コソ過激
『日ノ丸ニ敬礼』

恋人よ僕が見えてますか?
恋人よ声が聞こえますか?
いつかまた会える気はしない...
焼き尽くす太陽照らしてくれ

『生まれて来なければよかった
どうせ死に逝く命ならば』
いつかまた会える気はしない...
未来の君の隣は誰だろう

せめて最後くらい咲きたい
君との日々はもう来ないけど
羽を広げ空を飛びます
明日を知らない御国ノ為に

 

 歌詞の一部を抜粋した。出征兵士の悲哀が描かれていると解釈して間違いないだろう。戦時歌謡曲「父よあなたは強かった」が「貧弱な歌謡曲」と戦時中に一部で思われていて、米軍人が「この曲は反戦歌か」と尋ねた話は有名だろう。この「玉砕メランコリィ」もその流れで考えると反戦歌としか言いようがない。
 しかし、曲調は決して暗くなく(まあ、暗くなる部分もあるのだが)、ライブでボーカルが「日の丸万歳」と叫ぶとファンも笑顔でその声に合わせて万歳のポーズをする。

 ここに、歌詞の内容と曲調と曲の演出に乖離が生じていることが分かる。
 一方で、同バンドには、「愛國革命」という曲もある。

「全員敬礼!!」

愛國革命
oh yeah!!
ok??

「病める国民に告ぐ!!ここからが革命の時代だ!!!」

国家斉唱 カリキュラム
誰かが 蒔いた 洗脳マインド
未確認飛行物体
五機体 迫る 空へとハイウェイ


アイアム ア ジャパニーズ ボーン
ブチ壊せ くだらん政治家の理想論とか
ブチ壊せ 国家権力に宣戦布告
ブチ壊せ 病んでる社会に一撃必殺
ブチ壊せ 今こそ日本に革命を!!(歌詞より一部抜粋)

 

 

 これはどう考えても反戦歌ではない。

 「愛國」という言葉が使われていること、國という文字が旧字体になっていること、革命という言葉が政治的な意味を持つこと、そして同時に英語詞が多く含まれていることがポイントだろう。
 まず、「愛國」という言葉であるがこれは“nationalism”と“patriotism”どちらの意味を指すのであろうか。次に革命についてであるが、これは字義通りの革命を指しているようである。国家権力に宣戦布告というのは暴力的革命を意味するのであろう。要するにこの曲は国家に対して愛国的戦争を起こし、国家権力を転覆させる革命を歌っているのだ。
 「愛國革命」と「玉砕メランコリィ」ではバンドのスタンスがまるで違うことが分かる。1つのバンドが全く違う主張をする曲を持っているのだ。これにはいささか違和感を持ちはしないか。

 ちなみにライブ映像を確認してみると愛國革命では曲の初めにメンバーがそろって敬礼をしている。軍国主義的なものをイメージしたのだろうか。
 

 さらに、ナショナリズムの定義と厳密に合わせて考えることも必要だろう。ナショナリズムの定義としてここではゲルナーの『民族とナショナリズム』におけるナショナリズムの定義を引用したい。曰く、

ナショナリズムとは)政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張するひとつの政治的原理

 


 この考え方は、R指定の「愛國革命」の中に明記されている。「アイアム ア ジャパニーズ ボーン」の部分が民族的単位を示していると考えられるからだ。ここで、この歌詞における愛國とはpatriotismでなくnationalismであることが分かる。
 

 ここでまとめてみると、①確かにビジュアル系バンドの歌詞にはナショナリズムの考えがちりばめられている②しかし、ナショナリズムのニュアンスがちりばめられているだけであってバンドのスタンスとして一貫した主義、思想があるわけではない③反戦歌も多い、という3点のことが分かる。


 そして、この2番目のポイントから、彼らのナショナリズムと音楽の関係はバンドがナショナリズムを利用しているだけであって、ナショナリズムが元になって音楽が形作られている訳ではないという結論が導き出せる。故に私はナショナリズムが彼らにとってファッションであると表現したのだ。
 

 しかし、ではなぜビジュアル系バンドはナショナリズムを利用したがるのだろうか。
 ビジュアル系がナショナリズムを取り入れたがる魂胆の根幹にあるのはビジュアル系の持つ一種の選民思想、排他性ではないかと考える。この2つはナショナリズムと強い繋がりを持つ。
 ビジュアル系は言わずもがな派手なメイクを特徴としロックサウンドを奏でる音楽シーンであるが、これはまずメインカルチャーとは成りがたいものである。

 ビジュアル系が好きな女の子たちは自らのことを「バンギャ」と称し、ビジュアル系に興味がないひとを「パンピ」と呼ぶ。「パンピ」とは「一般ピープル」という言葉の略であり、この呼び方はあたかもバンギャである自分たちを特別な存在であると相対化しているように感じられる。
 さらに、ビジュアル系、バンギャの世界には独自のルールがたくさんある。最前(ライブハウスで一番前の場所)を取るために仕切り(そのバンドのファンの場所をまとめる人)と交渉しなければならないというルールがあったり、バンドごとに独自のフリ(曲に合わせて手を動かすこと。一種のダンスのようなものを想像してもらえればいい)を持っていたりする。これらの独特の伝統は一見しただけではそうそう理解できず、慣れる作業が不可欠となる。これがビジュアル系の持つ排他性だ。
 つまり、バンギャの選ばれた特別な者としての意識(もちろん選ばれてなんていないのだが)が自国を礼賛する大日本帝国ナショナリズムと繋がるのではないか。
 そのバンギャの無言の要請を受けて、選民意識を吸収するためにビジュアル系バンドは日本的ナショナリズムを曲中やバンドのパフォーマンスに取り入れる。これがまたバンギャに影響を与えバンドはますますナショナリズム的ファッションを身にまとうようになる。この相互性がビジュアル系とナショナリズムの関係性を深めていったと私は考えるのである。
 どこかの国が「America First」などと言っている世の中であるが日本でもそうやって狭いバンギャの世界で「Japan First」的な文化が流行しているのである。
 厨二病愛国主義ナショナリズムの旗手であったはずの椎名林檎東京オリンピックのプランニング担当になった今、音楽シーンとナショナリズムはますます繋がりを強めていくのだろうか。ビジュアル系に限らず日本の音楽シーンの変化が気になる今日この頃である。