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褻の日記

耽美っぽい文章を書きます

夜と霧の中で―アウシュヴィッツ訪問記―

 

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夢にまで見た場所にいることをはじめは信じられなかった。私は今までナチズム・ヒトラー全体主義絶滅収容所に関する多くの本を読んできた。しかし、それは私の中で一種の「ファンタジー」となってしまい、ユダヤ人虐殺の事実が私の中でいつの間にか別の世界の出来事のように感じられていたのだ。

 

そして、それはアウシュビッツに足を踏み入れた瞬間にも変わらなかった。“ARBEIT MACHT FREI”の文字は、何度も何度も写真で見たとおりに“B”の文字が上下逆になっていて、収容者たちのためのバラックがびっしりと並んでいる光景も写真で何度も眺めた通りだった。見たものが現実と思えない、そんな自分を不思議に思う自分をもう一人の自分で自覚しながら、奇妙な浮遊感と離人感を抱いたまま私はアウシュビッツの中にいた。

 

アウシュビッツでは初期の収容者たちは写真を3方面から撮られ、記録された。それらの写真が壁一面に張られた棟があった。写真たちは私のことをじっと見つめていたが、私はなんの感慨も湧かなかった。写真の中の目はわたしのことを責めるように光っていた。たくさんの展示物があったが、本で読んだことがある展示物ばかりで、ツアーガイドさんの説明が今まで学んだことの答え合わせのように感じられた。妙に冷静な自分が気持ち悪かった。そしてその時に感じたのは、このような過去に虐殺のあった現場にいるのになんの感情も抱かないことに対する罪悪感だった。

 

ガス室内部に入ったとき、壁に無数のひっかき傷があった。窒息の苦しみのあまり彼らは壁に取りすがったのだろう。死に瀕し、もだえ苦しんで壁に爪をたてる人々の様子は、容易に想像することができた。ガス室は殺風景で、がらんどうの空間だった。シーンとした冷たい空気があり、とても静かだった。私たちは、その静かで非人間的な空間をかき乱す闖入者でしかなかった。人間から離れた、人間を今まで忘れ去っていたような空間の中に人間的な苦しみの象徴であるひっかき傷があるのはなんだか不思議な感じさえした。しかし、いま考えてみるとあの部屋に充満していた「非人間的な雰囲気」は「死」であったのではないかと思う。「死」は人間が人間でなくなり、人間がただの物体となる瞬間だ。これ以上、非人間的なものがあるだろうか。

 

しかし、ガス室の中にいたときの私は、そのときでさえも誰かに操られているかのようにぼんやりしていて、自分が自分である実感を失ったままであった。なんの感慨もなくただひっかき傷を見つめ、虐殺の過去をただ受け止める器だった。ガス室を「ここがガス室であった」ということをただ受容することしかできておらず、非人間的なその空間の正体がなにであるのかについてなど、その部屋にいるときには、まったく考え及びもしなかった。ガス室の中にいるときでさえ、そこで殺されていったユダヤ人は私にとって想像上の生き物でしかなかった。

 

アウシュビッツから移動し、ビルケナウまで行ったあと、ビルケナウの中を一人で散歩した。ビルケナウにはアウシュビッツとは違って現存する建物はほとんどない。ソ連軍が迫ってきたときにナチスが火を放ち証拠隠滅を図ったためである。だだ広い敷地の中にかろうじて劫火から焼け残った煙突がぽつりぽつりと立っている、そんな場所である。散歩中、気温が30度を超え、乾燥した太陽がじりじりと首筋を焼いた。そんなときに、ああ、70年以上前、ユダヤ人たちもこの非情な太陽の下で労働に従事させられたのだ、とふと頭に浮かんだ。それが、初めて収容所の中にいたユダヤ人が現実のものとして感じられた瞬間だった。

 

しばらく散歩をすると、まったく周りに人影がなくなった。ビルケナウの東端にいつの間にか来ていたのである。横に堀があり、鉄条網があり、その反対側には廃墟があった。痛いほどの日差しは相変わらずで、土埃が一歩歩くごとに舞った。人の気配は全くなく、虫さえもそのときは静かだった。風もなく、私の肌を流れる汗だけが私には確実なもののように感じられた。ビルケナウは、とにかく広い。右手にただ煙突だけが残った廃墟、左手に鉄条網を眺めながらひたすら歩いても出口にはまるでたどり着かない。周りの景色は廃墟と鉄条網、そしてその先に見える森だけで、なんの変化もない。歩いても歩いても、廃墟があり、鉄条網があるだけだ。廃墟を追い越したと思っても、また同じような廃墟が現れる。こうして歩いているうちに、私は空恐ろしくなった。「生きているものがこの世界に私しかいない」。そんなように感じられたからだ。出口はいまだ見えず、視線の両端には先ほどと全く変わらぬ景色が広がっている。「このまま私は虐殺の記憶と共に一人だけここに取り残されるんじゃないだろうか」。無限にループするかのような景色と私以外全く生気のあるものが存在しないような雰囲気にとてつもない不安感を覚えた。

結局出口にはたどり着けたが、「生きている人が私しかいない」ような「すべてが死んでしまっている」ような「これが未来永劫続いていく」ような恐怖は私の脳みそにこびりついている。このときは、夢のような浮遊感は全く消え失せ、ただただ現実の恐怖だけが私の中にあった。いま思うと、収容されていた人々も同じような気持ちを抱いたことがあったのかしれないと思う。自分が生きていることは分かるが、周りにはまるで死体のように痩せこけた人々がいて、日々物を言わなくなる人々がいて、そしていつ解放されるのかわからない労働が続く。収容所の不思議な雰囲気に、私が飲み込まれた瞬間だったのかもしれない。

 

ただ、私はやはり収容者の苦しみ悲しみを本当に肌で感じ取れたとは到底思えない。私は、収容所の中で、収容者も感じたに違いない暑さも、いつ“これ”が終わるのか分からないという恐怖も感じた。しかし、それで私がアウシュビッツの収容者の気持ちを本当に理解できただなんて誰が断言することができるだろう。わたしはアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の当事者にはなりえない。実際に収容所に行くことで、収容者との隔絶をより一層感じたことは否定できない。

 

しかし、それについて考えた時に私はプリーモ・レーヴィについて思い出さずにはいられない。「一人だけ生き残ってしまった」「結局人々に収容所の本質について知らせるようなことはできないのではないだろうか」と、悩んで自殺したと言われているプリーモ・レーヴィ。彼はアウシュビッツの生存者として多くの書籍・講演で収容所内部での体験を語り続けた人物だった。正直、プリーモ・レーヴィの疑問は当たっているのではないかと個人的に思う。収容者がいくら精魂込めて収容所時代の苦しみを語ったとしても、その中にいなかった人間がその苦しさを本当に理解できる日なんて絶対に来ないのだ。痛ましい、かわいそうだ、と思ってもそれは収容所の外側から投げかけられる同情にすぎず、本質を外側の人間が知ることはできない。いくら収容所の記録を読もうとも、収容所の中の人々の汗の匂いを、ぴょんぴょんと飛び跳ねるノミの痒さを、やせ細った自分の体に自分の骨が突き刺さる痛さを「外側」にいた人間が実感することはできない。

 

ただ、「絶対に理解できないから」と理解しようとする道筋を放棄することは怠惰なことであろう。苦しみながらも「理解しようとし続ける」ことが私たちには求められているのだろう。

世の中には、ナチスによるホロコーストを否定し、認めない人々が一定数いる。そのような人たちは「理解しようとする努力」を究極的に手放した人たちなのではないだろうか。現在、移民が流入し続けるドイツではPEGIDA(西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)の活動が活発化し、AfD(ドイツのための選択肢。移民に対し強硬的であり排外的な傾向を持つ)が州議会で第2党となった。これらは再び少しずつドイツが排外主義に傾いている証拠であろう。そして、その傾向はドイツだけに限らず、多くの国々で起こっている現象とも思える。このような時こそ、人々はあまりにも現実離れした非人間的な出来事がヨーロッパの収容所で行われていたという過去を思い出し、収容者の苦しみを理解しようとし続ける努力を見失ってはならないだろう。

 

そして、私は収容所訪問を通して、その理解しようとし続けるための一歩目を踏み出せたのではないかと思い上がりかもしれないが考えるのである。